土曜日の朝、シリを切られた
恐ろしく救いようがない歌詞だなあ。
大人の嘘が許せない。けれど嘘を受け入れなければならない。
傷つけられなければ生きて行くことは出来ない。
だから傷つけられてもそれを口にしてはいけない。
それがわたしたちが大人になると言うこと。wowwowowwow・・・。
さて、そんな大人になりきれなかったのっちさんは古新聞を漁っていた。
そこに「高崎線女性シリ切り魔現行犯逮捕」という記事を見たもんだから盛大にずっこけるしかなかった。
もっとずっこけたのはその1週間後、埼玉新聞がその事件の特集記事を組んでいたことである。
中年男の陰気な楽しみ
指先に熱い期待 女性への劣等感をキル
見出しだけでもあの妄想記事の東京カレンダーに喧嘩売れると思う。
本文も現実の事件の詳細を踏まえていても、
バスが行田駅に着くと、市村(犯人、仮名)も乗客と一緒に外へ吐き出された。得体の知れない興奮が、市村の胸を静かになめていく。きょうは仕事始め”あのことも年始めの初仕事だ”・・・(一部略有り)
列車が桶川駅に滑り込んだときの市村は、期待と緊張に多少堅くなっていた。
〈この期待するものへの心の充足感!こいつが何とも言えねえな‥〉
(ターゲットを見つけて)市村の方から満員電車の中で、ちょっと体をふって、何気なく彼女の背後にピッタリ体を寄せた。
この女のエリあし、あのときおれを罵倒した女のとそっくりだな。
この記者、本当は小説を書きたかったんだろうなあと。まあこの新聞では受け入れがたい形の小説。だって犯行現場はこんな感じ。
だが、市村和典(犯人フルネーム、仮名)には、絶対の確信があったのだ。”切る”ということにかけてはー。少年時代から実父が紙の裁断業をやっていた関係上、鋭利な刃物のつかい方にも訓練されていた。それに女を”切る”という行為は、すでに数十回*1の経験ずみだ。"切る”ときの操作は、列車の動きとその反動を利用して、科学的に自然に”切る”ことを習得していたからー。市村はA子さんのボリュームのあるヒップのやわらかいはずみを楽しみながら、一方、右手の指に巧みに挟んだ鋭いカミソリの刃を静かに上下させていたのだった。(一部略あり)
A子さんを狙う部分なんか文言変えればもうエロ小説のあのシーンになるんじゃねえかと思ったり。もちろん、A子さんのオーバーを切った後、犯人はそれを見ていた6つの眼*2から駅長室に連れて行かれて、逮捕されるんですけどね。
この犯人、初めてのお子さんが小児麻痺にかかり、看病の結果金に困り、人のモノに手を出すようになり、その上その子が死んだ。そして自棄になり稼業を潰したが、また子供が出来ると聞いて生まれ変わったように明るい生活に戻った。そして現在は高2と中3の子供がいて、部屋も与えるほどに恵まれた生活をしている。そして、5年前から働いている会社社長も彼への評価は高い*3。そんな男がなぜそんな凶行を?となるわけです。
しかし、供述書から、彼が列車で偶然ある女性の体に触れた後にその女性から罵倒されたことがきっかけだったことが判明します。その怒りが電車の中の15歳から28歳の女性のスカートやらオーバーやコートを切っていたのです。
ここまで、この事件の時期をぼかして書いていますが、実はこの特集記事は1968年1月13日の埼玉新聞5面のニュース・ストーリー*4から引用しました。
そして49年後、スカートを切られたとしても黙っていろ、と主張する大人が出てくるわけです。一番怖いのはその大人はその事件の前から生きていると言うことです。