生ける血は火と同じくらい赤く熱い
2016年7月26日の朝。
のっちさんのケータイは鳴っていた。
毎月契約しているNHKニュース速報メール。
「相模原市の障害者施設に男が侵入と通報・・・二人心肺停止 消防など」
ああ、障害者施設に放火したんだなこいつ。
現に障害者施設に限らず建物の失火とか放火とか良く聞くし。
そこでもう一度見直してみた。
「相模原市の障害者施設に男が侵入と通報 十数人刺され2人心肺停止 消防など」
え?殺傷?
テレビを点けた。その凄惨な現場となった施設を各局インタビューやレポート交えて映している。犯人はそのまま出頭したと言っている。
呆然としながら朝ご飯を食べた。そのまま身支度。会社に行った。
会社でもその話で持ちきりだった。そして、お昼前死者数確定。19名。戦後最大の単独犯による大量殺人事件になっていた。
その事件から約1か月後、のっちさんは地元の図書館に居た。
障害者施設、精神病院、介護施設、その他の火災死亡案件の記事を見ていた。
1980年代の障害者施設、精神病院では、亡くなられた「障害者」は名を伏せられていた。その一方、介護施設の入居者は名前が出されていた。
1990年代はそういった案件を見つけきれず、2010年付近まで飛んだ。
2008年の大阪の個室ビデオ店放火殺人*1でも、2008年の神奈川で知的障害者のグループホームが放火されたが、どれも亡くなられた人は実名報道された*2。
2012年の広島のラブホテル形態ホテル*3火災は場所が場所だったせいか亡くなった人の名前みんな伏せられた。たしか警察発表。
そして、この相模原の事件も警察によって亡くなられた人の名前は全員伏せられた。
場所が場所だからなんだろう。施設に送り込んだ経緯も経緯なんだろう。
だから名前は伏せられた。そしてこの事件が一気に空気に化しそうになった。
犯人が殺したことすら無かったことであるかのように。
そこで当事者団体や障害者団体らがこの事件を風化させないためにも声明*4
を出し、しばらくして集会を開いた。そして、メディアは亡くなった彼らの名前を出す代わりに、彼らを示す特徴的なエピソードを伝え、生きていたことの証を伝え続ける*5。
相模原の事件は本当にあったんだよ。そういう馬鹿なことをしでかさない人間をつくらない為にも自分らが生きていたことを伝えなきゃ。そらそうだよ。人間が本当に死ぬのは誰からも忘れ去られた時、って芸術家が言ってるぐらいだし。うん、事件を風化させないためにも伝えなきゃ。
で、19の命を日本政府に差し出したはずの犯人に対しての政府の回答は、犯人が経験した措置入院の退院後監視を強化しようという方向に進んでいる*6だそうで。その一方では障害者らを慰め、元気づけるコメントすらだしてない*7。うん、いのちって何?
ノンカフェインじゃないとダメなのに
の続き。
あれから、のっちさんは「子宮のでかいのっちさん*1」と言われた。
まあそれはそれとして、生理1週間前になったと推測される時期になったので、改めて先日行った産婦人科に行って来た。
内診の結果、
「あなた、通常の12mm程度の内膜に収まっているわよ」
は?
「もしかしたら、いつも飲んでる南アフリカのアレが原因だったのかもね」
南アフリカのアレ、世間一般ではルイボスティーと呼ばれている飲み物である。
のっちさんはもともとカフェインに弱く、濃いめのコーヒーを日中に2杯飲んだだけで不眠になる。そこからノンカフェインのお茶を摂ることにした。しかし、当時住んでいたところは田舎で、手に入るノンカフェインの飲み物と言ったら麦茶かはと麦茶しかない。そんなのっちさんは宅配スーパーであるものを見つけた。ノンカフェインルイボスティー。20袋入りで600円。買った。そして毎日飲んだ。去年の春の話である。
そして6月、体がおかしくなった。経血が多くなったのである。
周囲は更年期障害の始まりだろうと片付けた。のっちさんも思った。
まだのっちさんはノンカフェインのルイボスティーを買って飲んでいる。
そしてドナー決定の通知、そして貧血傾向によるドナー延期。
まだのっちさんはノンカフェインルイボスティーを飲んでいる。
経血のひどさに月経過多用のナプキンも買い込んだ。
まだのっちさんはノンカフェインルイボスティーを飲んでいる。
しかし、埼玉に来てルイボスティーで検索したらこんな記事を見つけた。
不妊なんてどうでもいいよ、こんな時代だし彼氏すら居ないし。
でも、子宮内膜が厚くなるってことは生理って子宮内膜がはがれて起こる現象だから、もしかして。
それからのっちさんはルイボスティーを飲むのをやめた。
女性ホルモンや内膜の厚さより貧血回避が先決である。
その結果が、「あなた、通常の12mm程度の内膜に収まっているわよ」である。
証明するかのように、翌週からの生理の経血も去年の春レベルまでに落ちていた。
しかし、ルイボスティーはのっちさん宅に現在も大量にストックされている。
どうしよう、いつ飲めばいいかなあと思った時に、美容師さんとこんな雑談をしたことを思いだした。
「わたし、今、終わりかけなんですけど生理なんですよ」
「あ、生理なんですね、生理の1週間前はため込みやすいからあんまり食べない方がいいけど、生理開始から2,3日間は排出するだけだからたくさん食べられますよ」
これからは、生理開始から3日間はルイボスティーがぶ飲みするか!
*1:男性レベルでは「睾丸のでかい」が該当すると思うの
あのひとのための、マロニの日
のっちさんは乳がんと聞くと伯母さんのことを思い出す。
のっちさんは伯母さんからかなりお世話になった。
のっちさんが小学校まで帰宅先は伯母さんち。
伯母さんが帰ってくるまでは祖父母が面倒を見てくれていた。
夕方に颯爽と帰ってくる彼女は仕事の合間を縫って、
のっちさんの本から彼女は白い馬の縫いぐるみを作った。
そして、料理だって会合があれば大皿料理を一人で作る。
伯母さんは家事をそつなくこなす人だった。
ある日彼女は体の痛みを訴えるようになる。
どこの病院に行っても異常なし。けど、胸だけは看てない。
診断結果、余命宣告付きの乳がんであったことが判明した。
そのまま彼女は入院し、のっちさんの顔も、家族の顔も忘れ息を引き取った。
そんな彼女が作ってくれた料理に「マロニ」というのがある。
一言で言うと「冷やし中華の麺をマロニー」に変えただけの料理。
なぜ、彼女がマロニー不毛の地*1で「マロニ」を作り始めたかはわからない。
けれど、30年ほど前から月1ペースで伯母さんちの食卓に並んでた記憶がある。
その上、のっちさんがおいしいと言った記憶もある。
そんなわけで、小林麻央さんが亡くなった時、のっちさんは
「ああ!マロニ食いたい!」と唐突に思ったのだ。
「あんたに何度もマロニの作り方教えたでしょう?」
と母親はあきれながらものっちさんに作り方を教えてくれた。
マロニの作り方(だいたい1人前)
材料:鶏肉50g、卵1個、キュウリ50g、ハム1枚、マロニー*250g(マロニ本体)
醤油、酢、ごま油すべて適量(マロニタレ)
1,鍋にお湯を沸騰させ、そのままマロニーを袋に記載しているゆで時間でゆでます。
2,卵は容器に溶いて油を引いたフライパン(もしくは卵焼き器)で薄く焼いて薄焼き卵を作る。
3,鶏肉は塩少々と、酒小さじ2で茹でる*3
4,焼いた卵、茹でた鶏、きゅうり、ハムは短冊切りにする。
5,茹でたマロニーはザルにあげて水洗いする。
6,酢とごま油を混ぜて醤油を少しずつ入れてタレをつくる。*4*5
7,洗ったマロニーを山のように盛り、その上に卵、鶏、きゅうり、ハムを固めて置いて完成。*6
完成、そして食べてみた。
10年ぶりに食べる、そして人生初調理のマロニ。食べる。
やっぱり、伯母さんのマロニには叶わないよ!
でも、伯母さんはもう居ないので、のっちさんのマロニを作っていくしかない。
今度は伯母さんの月命日近くの休日にでも作ろうか・・来週だけど。
改めて、小林麻央さんのご冥福をお祈りいたします。
のっちさんプレゼント考
プレゼントについて最近思うことがあった。
書こうとしたきっかけ
のっちさんは節目ごとにプレゼントをくれる男の友人*1がいる。
くれるものはチョコレート、神社の御守り、まあ、日常としては文句なくもらえるな*2、と思うものばかりだった。
ある日、クリスマスプレゼントとしてミュージックプレイヤーをもらった。ああ、SNSで欲しいなあと言ってたもんな。それを見てある感情がわきあがったが、その時はやり過ごした。
次は、ある文房具だった。SNSに「買うのは春になってからだな」と書き添えたら2月のバレンタインデーにもらった。まあ、またあの感情がわきあがったが、ありがとうとだけ伝えた。
そして、誕生日。今回は何も言っていない。
しかし、彼曰く誕生日プレゼントは送ったという。喜ぶ彼を尻目に放心したかのさん。
そして、プレゼントは届いた。
「のっちさんに似合うと思って」
と贈られたジュエリー。思わず、彼と連絡をとった。確か、先日立ち寄った占いでも彼と相性がいいと言われた。これは言うしかない!
「ありがとう、…できれば、ジュエリーは恋愛関係になってから欲しかったかな。ちょっと早すぎる」
そして、以前のプレゼントについて不満を悉くぶちまけた自分がいた。
今更の連続にも関わらす
「あのね、ミュージックプレイヤーはもらって嬉しかったけど、あれ、実はチャリティー商品なんだ。だからホントは自分のお金で買いたかったんだ」
「文房具だけど、『春になってから』と書いたのは実は引っ越しを控えてたの。引っ越しでゴタゴタして無くすより、一段落してからの方がよかったかな」
もらってからの「実は…」、あげる側はもらう前に言っとけよ、である。SNSであれしか書いてないじゃん。
後、ジュエリーだって、似合うから贈っただけで、恋愛関係のマイルールなんて知らないよ。贈られたら感謝しろよ、感謝。
と贈り手は思ったかもしれないが、彼はのっちさんのメッセージをうんうんと反省しがら聞いてくれた。
贈り物と方法で問われるその人間関係
のっちさんが贈り物するときは、事前に内容を聞いておくことが多い。もともと、親が欲しがり屋さんでこれ欲しいとかあれ欲しいとか言う人だから、というのも大きいと思う。
そして、のっちさんには家族以外で物を贈りあう人間関係の経験が不足しているため、どこぞのカップルみたいに
「信頼してるし、わかってくれるから、言わなくてもわかる。」
というロマンティックなルールが通用しない。むしろ、のっちさんは仲が良いのなら言ってくれ。言わないとやらないか、想定しない行動に出るタイプ。
個人的なプレゼントの時にこそ、意志を確認した上で会話等で欲しいものを探っていくのも一つの方法だ。SNSに書いてあったから素直に今すぐ欲しいというわけでもない。その時だけでなく、日常の会話やメッセンジャーのやりとりの積み重ねが、情報収集に繋がる。なんてことないやりとりを繋げていくことが人間関係が長続きする秘訣でもある。
人間関係は1日にしてならず。と見ず知らずの人にプレゼントて恐怖のどん底に突き落としたこと*3があるのっちさんはしみじみと思うのであった。
「以心伝心推奨志向はやめてくれ。本当に伝えたいことがあったら口に出すか紙に書いて伝えることを推奨しろ」
追伸、あの時の占い師のおばさんありがとう。
だからだいもんに妄想でも無理させるなって
この話の続きになります。
「おまえさー、子連れ狼いつなったら読むんだよ?」
「それよりさー、拝一刀よりだいもん*1にふさわしい劇があって」
「は?話反らすなよ」
「おしどり右京捕物車って大昔のドラマ」
「知らんわ、まあ、話を聞くだけ聞いてみようか」
「右京という奉行と嫁のはながネコと」
「やめろ、俺はネコは単語から嫌いなんだ」
「幸せに暮らしてたんだけど、ある日、右京を逆恨みする奴から家族全員襲われてネコ死んで」
「ざまあ*2」
「その上はなが流産して、右京は下半身不随になって奉行所もクビになるんだけど、使命に目覚めた右京ははなが押す荷車に載せられて手裏剣と鞭で悪人をばったばったと倒すんだよー」
「ほう、で誰が荷車に乗せられて引っ張り回されるだいもんを見るんだよ」
「え?手裏剣でばったばったと倒れる下級生の倒され方に注目しないの?マトリックスみたいなパフォーマンスする期待の若手とかさあ」
「てか、全く動かないだいもんって需要ねーだろ?」
「宝塚で鞭裁きが上手い男役ってかっこいいよね(うっとり)*3」
「で、手押し車には様々な武器が仕込まれて、女子供がこれを見て喜ぶの?」
「「おしどり右京捕物車」を制作した松竹さーん、馬の松風*4貸してくれたんでしょうー、上演権お願いしますよー、後、演出は齋藤吉正でよろしくー。」
これがだいもんのサヨナラで無いことを願いたい*5。
11時に産まれた子はね
のっちさんは40歳になった。
どーもぉ、40歳独身彼氏無し一生結婚無理目なのっちさんでーす。
女の友人は全く居ませんが、男のオタ友はいっぱいいまーす。
と、前までなら自虐ネタ大盤振る舞いの自己紹介出来たかもしれない。
もう、そんな逃げてるわたしが格好いいと思えなくなった。
のっちさんは、中学まで勉強しか出来ない奴だった。
で、進学校に入ったら、何もできない奴になっていた。
だってみんな勉強できるんだもん。みんな仲良く出来るんだもん。
そんなこと無いわたしはもう生きてる価値が無ーい。
と毎日心の中で叫んでいた。
大学は国立だけどギリギリ自分が入れそうなところに入った。
実家から一番近い大学。
学部と専攻は自分には絶対合わない。
人間関係スキル無し、飽きっぽい。けどとりあえず4年通った。
入った専攻と全く関わり合いの無さそうな業界に入ろう。
と死にものぐるいで頑張った結果、入った専攻と若干関わりある業界に入らざるを得なかった。
で、今、評価は低空飛行であるけど同じ職場でずーっとやっている。
40代になったら、急にその大学時代の自分を直視することになった。
大学時代以上に専攻の知識を深める気はないの?
周りは貴女以上の知識はあるかもしれないけれど、最低限の知識を理解しないとここでは浮いてしまうよ。
その上、その周りに、大学時代に会った人、就職後に会った人、そして子供の時ののっちさんがのっちさんを取り囲んで
何もしないで逃げるなら俺達*1の存在はどうなるの。
俺達にただ死ねと言うのか!
そうしたくは無い、だから・・・と言葉につまったのっちさんがいた。
昔、読んだ占い雑誌に生まれ時刻占い*2というのがあって、
「午前11時台にうまれた人は苦手なもの、嫌なものとなぜか縁がある」
と書いてあった。11時に生まれたのっちさんが初めて読んだ時は笑っていたけどそうなんだな、暗示って怖いなあ*3。
そう思いながら40歳最初のブログを綴っている。
すべてはそこからはじまった・・・・わけでもないか
nocchi77.hatenablog.com引っ越し荷物を片付けてたら、ノートが見つかった。
蜜柑色の表紙のノート。日常の愚痴や絶望や夢を書き連ねている。
そう言えば、前のところでは一切書いてなかったなー。とぱらぱらとめくった。
愚痴や絶望や夢を書いていても所々日常が書いてある。
職場の同僚の家族の葬式に行ったこと、ドナー登録したこと。
ドナー登録したこと?
のっちさんは学生時代から献血が好きだった。
献血の行為が好きだったわけではない。献血後のクッキーやペンやら音楽テープやらをもらうのが好きだっただけだ。
そこにブルーナイラストの骨髄バンクのパンフがあった。それを見たのっちさんは帰ってから親に相談した。
「今はやめて、就職してから登録して!」
そこはぐっと食い下がって就職するのを待った。
卒業から就職まで数年、
福岡で就職したのっちさんは献血ルームに居た。
今度こそ骨髄ドナーになるのだ。パンフレットに血液を採るだけと書いてあった。
献血のついでだ。
16時前、買い物途中の若者達がショッピングセンターの献血ルームに溢れかえる。
後もう少しで笑点が始まるな。その記憶だけは残っている。
「5/18 ドナー登録やってきた」
万年カレンダーを確認したところ、笑点がやっていた5月18日は2004年では無く、その1年前の2003年。
この年の4月に失恋の痛手から西鉄INCUBEで買って来たこの蜜柑色のノート*1に書き殴ったなあ、このノートは1年で書き終えるぞとか、書き終えたら彼氏が出来るんだとか威勢のいいことを書いてたなあ。
出てきたノートには100ページ以上の空白があった。そのせいだろうか、今も結婚はおろか恋人すら居ない。もう一回書き殴ってみようか・・そうしたら彼氏はできるかも・・・。
*1:この100シートノート。今でも値上げはしても売っては居るんだなあ。